忘れられた湯の前で
然別湖へ向かう峠道の途中、ふと気配を感じて車を停めた。
「山田温泉」──その看板は、静かに時を止めていた。
板で塞がれた入口には、「年56日だけ入れる」の文字。
けれど、今はもう、人が湯を求めて訪れる気配はない。
その隣に、ひとつの碑が建っていた。

然別湖のぬし 山田角太を顕彰す
北海道鹿追町 野村企画
何かを語りかけるようなその石碑の前で、僕は静かに足を止めた。
開湯と発展
山田温泉が開かれたのは、1931年(昭和6年)。
この地で生まれ育った山田角太が、原生林の中に湯脈を見出し、自らの手で温泉宿を整備した。
その宿は「然別湖ホテル福原」の別館として開業し、観光や湯治の拠点となった。
角太は魚の養殖にも尽力し、然別湖に生息するオショロコマ(ミヤベイワナ)の人工繁殖にも成功。
“ぬし”と呼ばれるにふさわしい人生を、この地に捧げた。
秘湯としての記憶

やがて山田温泉は、湖と森に包まれた秘湯として知られるようになる。
標高800m以上、冬には雪に閉ざされる場所。
けれどその分、湯に浸かる体験は、まるで自然とひとつになるようだったという。
湯は無色透明の単純温泉。
pH約7.0、泉温約44.5℃。
肌にやさしく湯冷めしにくいことから、多くの登山者や湯治客に親しまれた。
だが、時の流れは残酷だ。
施設の老朽化、過疎化、冬期の管理の困難さもあって、山田温泉は静かに営業を終えた。
今、そこにあるもの

2020年代の今、温泉宿は閉鎖され、建物は廃墟化している。
旅館の看板がかすかに読み取れる壁。
板で封鎖された入口。
足元に積もる葉と、青いブルーシート。
それでも、碑は残っている。
山田角太という人物が、この土地を生き、支えた証として。
観光客の姿はない。
あるのは、風と森と、静かな記憶だけだ。
温泉という“営み”の跡
かつてはキャンプ場や湯宿もあったというこの一帯。
現在は温泉利用もできず、街としての賑わいもない。
けれど、何もないその場所に、心を打つ風景がある。
失われたからこそ残るものがある。
人の手でつくられ、自然に戻っていく温泉地の姿。
湯を通じて人が集い、やがて時が流れていくことの、美しさと寂しさ。
この地を守った“ぬし”がいた。
そして今も、この森の中に静かに残っていた。
森の川柳

湯けむりの
夢に棲みしや ぬしの碑よ
こんな話もありますねん。
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