植村直己記念館-氷雪の家-

植村直己記念館 氷雪の家

冒険家の軌跡を辿る:おびひろ動物園の「植村直己記念館」

植村直己記念館

植村直己記念館

北極からヒマラヤまで、植村直己の壮大な冒険の世界

おびひろ動物園内にある「植村直己記念館」は、日本を代表する冒険家、植村直己の偉業と人生を伝える特別な施設です。

植村直己さんの銅像

植村直己さんの像

植村直己さんの像

北極点・グリーンランド 犬橇 ひとり旅 1978年9月2日 植村直己

北極点・グリーンランド 犬橇 ひとり旅 1978年9月2日 植村直己

植村直己さんプロフィール

植村直己氏の顔写真

植村直己氏 ナショナルジオグラフィックの表紙

冒険家。1941年、兵庫県日高町(現・豊岡市)生まれ。
明治大学卒業後に海外に渡り、1966 年ヨーロッパ大陸最高峰のモン・プランを皮切りに、ヨーロッパのマッターホルン、 アフリカ大陸のキリマンジャロ、南米大陸のアコンカグアに単独登頂、1970年には日
山岳会エベレスト遠征隊の一員として、盟友・松浦輝夫とともに日本人初のエベレスト登頂を果たし、世界初の五大陸最高峰登頂者となった。
1974年暮れから76年5月まで1年半をかけて北極圈1 万2千キロを犬ぞりで走破。78年には北極点に犬ぞりで世界初の単独到達を果たしたあと、グリーンランド3千キロを縦断。
その後、最後の目標だった南極大陸単独横断とピンソン・マシフ登頂の準備を行うが、フォークランド紛争 (1983年)のため断念。1984年2月、北米大陸最高峰マッキンリーの世界初・ 冬季単独登頂を果たしたが、下山中に消息を絶った。1984 年国民栄誉賞受賞。
彼の夢を追い求める姿、並外れたやさしさ、自然を愛し怖れた姿は『ウエムラ・スピリット』として多くの冒険家・登山家たちの憧憬として受け継がれている。(説明文引用)

氷雪の家

植村直己記念館 氷雪の家

氷雪の家
1976(昭和51)年6月、『北極圈1 万2千キロ単独走破』を終えた植村さんは、旅の苦楽を共にしたエスキモー犬のうちの二頭をおびひろ動物園に寄贈したことが縁となり、その後、毎年のように帯広・十勝を訪れ多くの人と親しくなりました。
植村さんの人柄に惹かれた帯広・十勝の方々によって、彼の探検家としての業績や、十勝・帯広とのつながりを多くの人に知っていただく目的で、1985年「氷雪の家」を開設しました。(説明文引用)

植村直己氏の偉業年表と表彰状

"植村直己氏の経歴
1964年から1969年までの偉業年表

"植村直己氏の経歴
1977年から1982年までの偉業年表

"植村直己氏の経歴
1983年から1985年までの偉業年表

日本動物愛護協会からの表彰状
日本動物愛護協会からの表彰状

北極点単独行 犬ゾリ

北極点単独行 犬ゾリの図

犬ぞりを曳く犬たち

犬ぞりとそれを曳く犬たち

犬ぞりを曳く犬たち 横から

犬ぞりに乗る植村直己氏

犬ぞりに乗る植村直己氏

犬ぞりに乗る植村直己氏の後ろ姿

植村直己物語出演者サイン色紙

植村直己物語に出演した西田敏行さんのサイン色紙

植村直己物語に出演した西田敏行さんのサイン色紙

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植村直己物語キャストのサイン色紙

植村直己冒険歴

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植村直己坊検歴の年表

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植村直己坊検歴の年表

植村直己記念館-おびひろ動物園-

帯広と植村直己

植村直己記念館-おびひろ動物園-

冒険マップ

植村さんと帯広野外学校

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「植村直己さんの夢を受け継いだ野外学校をつくろう」と趣旨に賛同した有志が1985年に日高山脈のふもと帯広市。 八千代町に「植村直己・帯広野外学校」を開校しました。
1988年1月には、全国から寄せられた寄附金で丸太造り研修棟とシンボルタワーも完成し、ウエムラ・スピリッツ(= 植村さんの心)を学び、近づくことを理念とした活動を行っています。
面積:タワー 64.80㎡ (全高17m)
研修棟 65.61 ㎡
工事費:約10,000,000円(説明引用)

アメリカ・ミネリタの野外学校のスエット

アメリカ・ミネリタの野外学校のスエット

アメリカ・ミネリタの野外学校のセーター

アメリカ・ミネリタの野外学校時代、犬ぞりのインストラクターをしていたときに着用していたセーター。

南極単独横断を終えたら、青少年に自分の探検の技術などを伝える「野外学校」を、大を預けたとこで縁があった帯広の日高山鉄が見えるあたりに開くことが植村さんの夢でした。
野外学校の運営などを学ぶため、1983年にアメリカ・ミネリタの野外学校に入学しました。
生徒として入学したかった植村さんでしたが、結局は大ぞりのインストラクターとして3ヵ月ほどを過ごしました。
このセーターはそのときに着用していたものです。
(説明引用)

マッキンリー遭難現場

植村直己氏 マッキンリー遭難現場

1984年2月12日、世界初の北米大陸最高峰マッキンリー(6,194m)冬期単独登頂に成功。
しかし翌13日、テレビ朝日チャーター機との交信を最後に消息を絶つ。
(説明引用)

1970年8月マッキンリー(6,194m) 単独登頂に向けて、ベースキャンプを出発。

1970年8月マッキンリー(6,194m) 単独登頂に向けて、ベースキャンプを出発。 クレバス対策の旗をヒラヒラさせている。(説明引用)

雪洞に残された装備

植村さんと南極

植村直己記念館-おびひろ動物園-

1970年にマッキンリー登頂を果たし五大陸最高峰登頂者となった植村さんは、次の目標を「南極単独横断」に決めました。

その目標達成に向け、「北極圏の犬ぞり単独旅行」などで経験を重ね、1982年にアルゼンチン軍の協力を取り付け、目標実現の一歩手前まで漕ぎ着けました。

しかし、折悪しくイギリスとアルゼンチンの間でフォークランド戦争が始まったことにより軍の協力が得られなくなり、ついに南極単独横断の夢は断たれてしまいました。

五大陸最高峰の石

世界五大陸最高峰の石

植村さんが五大陸のピークにたったときに持ち帰った石。
これらは自分の記念品としてではなく、冒険・山行を支えてくれた人達へのお礼の意味を込めて持ち帰ったものです.

  • モンブラン(ヨーロッパ大陸最高峰)1966年7月
  • キリマンジャロ(アフリカ大陸最高峰)1966年10月
  • アコンカグア(南米大陸最高峰)1968年1月
  • エベレスト(アジア大陸・世界最高峰)1970年5月
  • マッキンリー(北米大陸最高峰)1970年8月
    (説明引用)

パネル写真

激しいブリザードの中、犬ぞりを走行。
激しいブリザードの中、犬ぞりを走行。風速1mにつき、約1度気温が下がる(説明引用)

グリーランド氷床にハロー現象で浮かぶ3つの太陽
グリーランド氷床にハロー現象で浮かぶ3つの太陽(説明引用)

寒さに強いハスキー犬
寒さに強いハスキー犬

1970年8月マッキンリー単独登頂
1970年8月マッキンリー単独登頂

植村直己記念館-おびひろ動物園-
エベレスト南壁国際隊のキャンプ風景

1970年5月21日 松浦輝夫氏と共に日本人として初めて世界最高峰エベレスト (8,848m)の頂上に立つ
1970年5月21日 松浦輝夫氏と共に日本人として初めて世界最高峰エベレスト (8,848m)の頂上に立つ

不気味に口を開ける海表面にぶつかる。 北極海の自然の息づきにしばし心を打たれ見とれる。
不気味に口を開ける海表面にぶつかる。 北極海の自然の息づきにしばし心を打たれ見とれる。(説明引用)

1966年(昭和41年)10月24日アフリカ大陸最高峰キリマンジャロ(5.895m)に単独登頂。
1966年(昭和41年)10月24日アフリカ大陸最高峰キリマンジャロ(5.895m)に単独登頂。(説明引用)

グリーンランド氷床上のハスキー犬
グリーンランド氷床上のハスキー犬

植村直己氏の装備品

植村直己記念館-装備品-双眼鏡

植村直己記念館-装備品-

植村直己記念館-装備品-

植村直己記念館-装備品-

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