冒険家の軌跡を辿る:おびひろ動物園の「植村直己記念館」
北極からヒマラヤまで、植村直己の壮大な冒険の世界
おびひろ動物園内にある「植村直己記念館」は、日本を代表する冒険家、植村直己の偉業と人生を伝える特別な施設です。
コンテンツ
植村直己さんの銅像
植村直己さんプロフィール
明治大学卒業後に海外に渡り、1966 年ヨーロッパ大陸最高峰のモン・プランを皮切りに、ヨーロッパのマッターホルン、 アフリカ大陸のキリマンジャロ、南米大陸のアコンカグアに単独登頂、1970年には日
1976(昭和51)年6月、『北極圈1 万2千キロ単独走破』を終えた植村さんは、旅の苦楽を共にしたエスキモー犬のうちの二頭をおびひろ動物園に寄贈したことが縁となり、その後、毎年のように帯広・十勝を訪れ多くの人と親しくなりました。
植村直己氏の偉業年表と表彰状
北極点単独行 犬ゾリ
植村直己物語出演者サイン色紙
植村直己物語に出演した西田敏行さんのサイン色紙
植村直己冒険歴
植村直己坊検歴の年表
植村直己坊検歴の年表
帯広と植村直己
冒険マップ
植村さんと帯広野外学校
「植村直己さんの夢を受け継いだ野外学校をつくろう」と趣旨に賛同した有志が1985年に日高山脈のふもと帯広市。 八千代町に「植村直己・帯広野外学校」を開校しました。
1988年1月には、全国から寄せられた寄附金で丸太造り研修棟とシンボルタワーも完成し、ウエムラ・スピリッツ(= 植村さんの心)を学び、近づくことを理念とした活動を行っています。
面積:タワー 64.80㎡ (全高17m)
研修棟 65.61 ㎡
工事費:約10,000,000円(説明引用)
アメリカ・ミネリタの野外学校のスエット
アメリカ・ミネリタの野外学校時代、犬ぞりのインストラクターをしていたときに着用していたセーター。
(説明引用)
マッキンリー遭難現場
しかし翌13日、テレビ朝日チャーター機との交信を最後に消息を絶つ。
(説明引用)
1970年8月マッキンリー(6,194m) 単独登頂に向けて、ベースキャンプを出発。 クレバス対策の旗をヒラヒラさせている。(説明引用)
植村さんと南極
1970年にマッキンリー登頂を果たし五大陸最高峰登頂者となった植村さんは、次の目標を「南極単独横断」に決めました。
その目標達成に向け、「北極圏の犬ぞり単独旅行」などで経験を重ね、1982年にアルゼンチン軍の協力を取り付け、目標実現の一歩手前まで漕ぎ着けました。
しかし、折悪しくイギリスとアルゼンチンの間でフォークランド戦争が始まったことにより軍の協力が得られなくなり、ついに南極単独横断の夢は断たれてしまいました。
五大陸最高峰の石
植村さんが五大陸のピークにたったときに持ち帰った石。
これらは自分の記念品としてではなく、冒険・山行を支えてくれた人達へのお礼の意味を込めて持ち帰ったものです.
- モンブラン(ヨーロッパ大陸最高峰)1966年7月
- キリマンジャロ(アフリカ大陸最高峰)1966年10月
- アコンカグア(南米大陸最高峰)1968年1月
- エベレスト(アジア大陸・世界最高峰)1970年5月
- マッキンリー(北米大陸最高峰)1970年8月
(説明引用)
パネル写真
激しいブリザードの中、犬ぞりを走行。風速1mにつき、約1度気温が下がる(説明引用)
1970年5月21日 松浦輝夫氏と共に日本人として初めて世界最高峰エベレスト (8,848m)の頂上に立つ
不気味に口を開ける海表面にぶつかる。 北極海の自然の息づきにしばし心を打たれ見とれる。(説明引用)
1966年(昭和41年)10月24日アフリカ大陸最高峰キリマンジャロ(5.895m)に単独登頂。(説明引用)