山に囲まれた聖域
ベトナム中部、クアンナム省。ダナンやホイアンから約40km、トラムカーに揺られて山の奥へ進むと、周囲を山々に囲まれた盆地に、唐突に現れる赤褐色のレンガの塔群。
ここがミーソン遺跡だ。

かつてチャンパ王国のヒンドゥー教寺院群として
栄えた場所に、今も重厚な基壇とレンガの壁が残る。
4世紀後半から13世紀まで、約900年にわたってベトナム中南部で栄えたチャンパ王国の宗教的中心地。
ヒンドゥー教の最高神シヴァを祀り、王が代替わりするたびに祠堂や寺院が建てられ続けた聖なる場所。
最盛期には70基以上の建造物が建ち並び、チャンパ文化の粋を集めた芸術的・建築的な結晶として、この地に君臨していた。
接着剤なしで、900年
ミーソン遺跡の建築技法は独特だ。
焼成レンガを接着剤を使わずに積み上げる「疑似アーチ構造」。
どうやって積んだのか、現代でもはっきりとは解明されていないらしい。
寺院の壁面には、神々や伝説を描いた精緻なレリーフが刻まれ、石柱には時代ごとの様式が刻み込まれている。

舞うような人や動物を刻んだ装飾片が並び、
チャンパ王国の精緻な芸術性を今に伝えている。
4世紀後半、ある王がインド文化を取り入れ、シヴァ神を祀る木造の祠堂を建立したのが始まりとされる。
7世紀にはレンガ造りに改築され、以後、王が変わるたびに新しい建造物が追加されていった。
まるで、歴代の王たちが神への祈りを積み重ねるように。

海上交易で栄えたチャンパ王国は、政治・経済・宗教の中心を地域ごとに分担していた。
その中で、ミーソンは特に「宗教の中心」として機能していた。
海から遠く離れた山の中に聖域を置いたのは、おそらく神聖さを守るためだろう。
俗世から離れた静謐な場所で、王は神に祈り、国の繁栄を願った。
戦争が奪ったもの
だが、時代の荒波はミーソンにも容赦なく押し寄せた。
15世紀、王朝が交代し、チャンパ王国は衰退。そして20世紀、ベトナム戦争。アメリカ軍の爆撃により、多くの建造物が破壊された。
現在残されているのは、約20〜30棟。かつての7分の1ほどでしかない。
遺跡を歩くと、爆撃の跡が生々しく残っている箇所がいくつもある。
崩れ落ちた壁、欠けた彫刻、半壊したままの塔。900年かけて積み上げられたものが、一瞬で失われた。その事実が、静かに、しかし確実に、心に重くのしかかる。
炎天下で聞く、英語のガイド
ミーソン遺跡の観光は、なかなかハードだ。
入場料は150,000ドン(約950円)。トラムカーで移動し、現地ガイドの説明を聞きながら約2時間かけて回る。
ベストシーズンは乾季の3月〜5月、早朝が混雑回避と散策に最適らしいが、私が訪れたのは8月の真昼。
日陰がない。逃げ場がない。

日傘が並ぶ姿に、この場所の厳しい暑さが映し出される
ガイドさんの英語の説明を必死で聞きながら、汗が滝のように流れる。でも不思議と、苦痛ではなかった。
この暑さの中で、かつての人々は祈りを捧げていたのだろうか。
レンガを積み上げ、彫刻を刻み、神に願いを託していたのだろうか。そんなことを考えていると、時間が重なり合うような感覚があった。
世界遺産が伝えるもの
1999年、ミーソン遺跡はユネスコ世界遺産に登録された。
その独特な文化的・歴史的価値から、今やベトナム有数の観光地となっている。
周辺には博物館も整備され、訪れる人々にチャンパ文化の足跡を伝えている。
でも、ここが伝えているのは、美しい遺跡だけではない。
人間が積み上げてきたもの。祈り、芸術、技術、歴史。
そして、それらが一瞬で失われる儚さ。戦争の爪痕が残る遺跡を前にすると、そのどちらも、等しく重たい。
山々に囲まれた盆地に、赤褐色のレンガの塔が静かに立っている。900年前と変わらず、そして、確実に変わってしまった姿で。
ミーソン遺跡 基本情報
項目 | 内容 |
---|---|
名称 | ミーソン遺跡(Mỹ Sơn Sanctuary) |
場所 | ベトナム中部 クアンナム省 ズイスエン郡 |
歴史 | 4世紀後半~13世紀/チャンパ王国の聖域 |
宗教 | ヒンドゥー教(主にシヴァ神信仰) |
建築様式 | 焼成レンガ・疑似アーチ・石柱/精緻な彫刻・レリーフ |
世界遺産登録年 | 1999年 |
残存建造物数 | 現存約20~30棟(最盛期は70基以上) |
観光アクセス | ダナン・ホイアンから約40km/トラムカー・現地ガイド利用可能 |
入場料 | 150,000ドン(約950円) |
観光ベストシーズン | 3月~5月(乾季、早朝が混雑回避・散策に最適) |

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