帯広の部屋〜セブン-イレブン芽室4丁目〜日勝峠〜道の駅樹海ロード日高〜幸せの黄色いハンカチ思い出広場〜石炭博物館〜ゆうばり屋台村(そば旭)〜夕張キネマ街道〜セイコーマート夕張本町〜新千歳空港
記憶に残る夕張の旅:霧の峠越えから炭鉱の歴史、そして映画の面影を巡る
2025年春の北海道車中泊の旅(Part12)
7日目:2025/05/31
運転時間:約5時間20分 走行距離:約230km
霧を抜けたその先に、見えたもの
帯広の部屋を6時50分に出て、7時に「わ〜るど」を出発。今回も駐車ありがとうございました。
今回はDCMも稲田町も寄らず、芽室町へ。セブンイレブン芽室4丁目でタルタル海老カツサンドとコーヒーで朝食を済ませた。
順調な滑り出し、と思いきや、
8時20分、日勝峠の7合目あたりにさしかかったとたん、世界が一変した。 フロントガラスの向こうは、まっしろ。 まるで雲の中に突っ込んだみたいな、濃い霧。 ハンドルを握る手に、自然と力が入る。 何も見えん。ただ真っ白な世界を、慎重に進むしかない。
「峠をなめたらあかん」と言われる理由が、身体でわかる瞬間やった。
対向車のライトが一瞬だけ浮かんでは消える。
路面の白線すら見えへん。
静かやのに、車内にピリッとした緊張感が走る。
こういう“自然の怖さ”って、どこか畏敬にも似てる。
でも、8時35分。
ふいに視界が開けた。
「抜けた……」そう思ったとたん、胸の奥までスッと風が通る。
霧の切れ間から差し込んできた光に、なんとも言えん安心と、静かな感動を覚えた。
霧の峠は、ただの地理的な通過点やなかった。
この旅が「終わりに向かってる」ことを、そっと知らせてくれた気がする。
あの白い世界を抜けた先には、次の景色がある。
それは、ただの風景やなく、「旅が変わる予感」やったんかもしれん。
北海道の道って、走るだけで何かを教えてくれる。
目には見えんけど、心が動いたその瞬間を、絶対に忘れたらあかん。
そう思った、霧の中の15分間やった。
インディアンと豚丼、旅人の交差点
道の駅樹海ロード日高に立ち寄り、セイコーマートで豚丼(710円)。

駐車場にはインディアンのバイクが2台。持ち主に撮影の許可をもらって一枚。

ああ、こういう交差があるから、旅はやめられへんのや。
占冠〜むかわ〜夕張と、静かな道を抜けていく。
思い出の広場と、語りすぎる鉄
10時55分、幸せの黄色いハンカチ思い出広場に到着(入場500円)。 まずはカフェでアイスコーヒーと、たんどら(300円)を堪能。

展示はもちろん、雰囲気もよかった。でも、それよりも…… この場所が「待ってくれてた」ように感じたのが、不思議やった。



炭鉱とともに生きた人々の記憶
11時53分、石炭博物館に到着。入口は静かやけど、どこか重たい空気を感じる。

中に入ってまず驚いたのは、展示の「濃さ」と「リアルさ」。炭鉱で働いていた人たちの過酷な労働の様子、支え合いながら暮らした町の姿、そして時代の流れの中で訪れた衰退まで──どれも他人事じゃなく、「そこにあった生活」として迫ってくる。

実際の坑道を再現した展示では、冷気の残るトンネルのなかに立ったとき、ほんまにここで汗を流した人たちがいたんやと肌で感じた。ヘルメットについた擦り傷ひとつにまで、時間と想いがこびりついてる気がする。
何より印象に残ったのは、地域の人たちの協力でこの博物館が再建されたということ。単なる記念施設やなく、「生きた記憶の場」として守り継がれてる。展示を見ながら、ふと何度も足を止めては、当時の人々の暮らしに思いを馳せた。
気づけば14時。たっぷり2時間以上滞在してしまった。展示物をただ眺めてたんやなく、そこに込められた“想い”に出会ってたんやと思う。夕張の炭鉱はもう稼働してへん。でも、その記憶と誇りは、静かに、でも力強く、ここに生き続けてる。

駅跡に生まれた、あたたかい台所
石炭博物館の余韻を胸に、歩いて向かったのは旧夕張駅の跡地にある「ゆうばり屋台村」。 かつて終着駅だった場所に、「ありがとう 夕張の鉄道」という横断幕が掲げられていた。 それを見た瞬間、思わず足が止まった。

新夕張から夕張までを結んでいた石勝線の夕張支線は、2019年3月で廃止。
レールも駅舎も、いまはもう使われてへんけど、「もう来ない電車」と「まだ残るレール」が物語るものは多い。
全国から鉄道ファンが別れを惜しんで集まったというその場所に、今は小さな屋台村がぽつんとある。
まるで「また誰かが来てくれることを、信じてる」ような、静かな気配。

選んだのは、夕張名物「カレーつけそば」がある店「そば旭」。
注文の仕方も丁寧に教えてくれて、お店の人の人柄がなんともあったかい。
炭鉱長屋の廃材を使って再生したというこの建物にも、言葉では言い尽くせない深みがあった。
床のきしみ、木の節目、カウンターの高さ──全部に「かつての誰かの暮らし」が染み込んでる気がした。

カレーつけそばは、香りの良さとピリッとした辛みがちょうどよく、そばのコシも抜群。
気がつけば、スープがうますぎて飲み干したくなって、ライスを追加。
カレー雑炊のようにして最後までいただいた。
カレーにそばをつけて、最後にごはん。最高やないか。


どこかで食事って、ただ空腹を満たすだけやない。
人と場所と時間が交差して、思い出に変わる。
この旧駅舎の前で、もう汽笛の鳴らないプラットホームを見ながら食べたカレーそば──
それは、夕張が過去のものになったんやない、「まだここに生きている」って教えてくれる一杯やった。
静かなスクリーンに映る、夕張の誇り

カレーつけそばの余韻を残したまま、「キネマ街道」へ。 先ほど車で通りがかって気になったあの道。14時50分、あらためて足を踏み入れる。

まず目に飛び込んできたのは、「太陽がいっぱい」「マイ・フェア・レディ」「猿の惑星」「クレオパトラ」──
どこか懐かしい映画の看板たち。しかもただのポスターやない、手描きレプリカで再現された大型看板や。
その色あせ具合や、看板ごとの個性が、逆にリアルで、妙に心を引き寄せる。
ここ夕張は、炭鉱が栄えていた時代に娯楽としての映画文化が花開いた町。
ピーク時には10館以上の映画館があったらしい。
夜な夜な炭鉱夫たちが疲れた体を引きずって、スクリーンの光に癒されていたのかもしれへん。
そんな記憶がこの街道に、今も静かに残ってる。
歩いてると、土曜の午後やのに人はまばら。
開いてる店も少なくて、少し寂しい気持ちにもなるけど──
それでもこの通りを歩くことそのものが、なんやろ、「記憶の上映」に参加してるような気がしてくる。
草むらの匂い、アスファルトの温度、誰かの足跡。
どれも、スクリーンの裏側の“日常”そのものや。
たぶん、ここは「観光地」やない。
地元の人が守ってきた“文化の残り火”なんやろなと思う。
夕張が映画祭で再び注目を浴びたのも、こういう土台があったからやと思う。
華やかさはなくても、魂がある。
一枚一枚の看板に、その時代を生きた感性が、ちゃんと息づいていた。
旅の幕引き、新千歳空港へ
セイコーマートでカフェラテを買って、夕張長沼線を走る。 空港近くのパーキングに車を停めて遮光セット。 「この旅、1800kmか……」と思わず呟く。
17時、新千歳空港へ送ってもらい、17時7分到着。
搭乗前に小さく揺れを感じた。地震やったみたい。
18時10分の便、席は20A。窓際で、隣は誰も来なかった。
機内でニッカハイボールとチップスター(700円)。これが旅の打ち上げ。
今回の旅で、車中泊とアーティックジャーニーのやり方がだいぶ洗練されてきた気がする。簡単な車中泊で早朝温泉を見つけて、ジャックリーの小型ポータブル電源があれば、コワーキングスペースがなくても何とかなる。このスタイル、かなり気に入った。旅は、いつも新しい発見と気づきを与えてくれる。
ほな、また!