十勝エアポートすぱを出て、帯広の拠点に戻ろうかと思ったが、地図を眺めているうちに晩成社跡地の文字が目に留まった。
昨日、帯広百年記念館を訪れたばかりで、晩成社の歴史について学んだところである。まだ足を運んだことがない場所だったので、急遽予定を変更して向かうことにした。
午後の探訪

13時30分、空が晴れ間を見せ始めた。ホロヤカントー線を走り、看板を見つけるのに少し苦労したが、Googleマップが的確に示してくれた道を左折する。舗装路から砂利道へと変わる瞬間、時代を遡るような感覚に包まれた。13時35分、晩成社跡地に到着である。
明治の理想主義者たちの夢

現地の案内板には、晩成社の壮大な理想が記されている。明治十六年一月、依田勉三を中心とした青年たちが、この地に理想の共同体を築こうと入植したのである。彼らが掲げた「晩成社」という名前には、大器晩成の思いが込められていた。
十勝平野の原野に立ち、彼らは農業を通じて新しい社会を創造しようと試みた。サイロ、あみそら歌といった北海道開拓の象徴的な存在も、この地から生まれたのである。案内板を読み進むうち、明治の青年たちの熱い志と苦悩が伝わってくる。
残された建物が語るもの

跡地には復元された建物が静かに佇んでいる。板張りの質素な外観は、開拓時代の厳しい現実を物語っている。内部をのぞいてみると、木製の生活用具や大きな甕が当時の暮らしぶりを伝えてくれる。天井から吊り下げられたランプが、電気もない時代の夜の暗さを想像させる。

特に印象的だったのは、地面に設けられた半地下の貯蔵庫である。厳冬期の食料保存のため、先人たちの知恵が詰まった構造物だ。草に覆われ、朽ちかけた木材が歳月の重さを感じさせる。

現在に響く開拓精神
20分ほどの見学を終え、13時55分に跡地を後にした。短い時間だったが、明治の理想主義者たちの足跡に触れることができた貴重な体験だった。
現在の十勝平野の豊かな農業地帯を見渡しながら、晩成社の青年たちが蒔いた種が、どのような形で現在に受け継がれているのかを考えずにはいられない。彼らの理想は完全には実現されなかったかもしれないが、この地に根づいた開拓精神は確実に次の世代へと繋がっているのである。
帰路につきながら、歴史の重みと現在の豊かさを改めて実感した午後だった。
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