倶利伽羅峠は、石川県と富山県の県境に位置する歴史的な峠。古代は北陸道の官道として都へ通じ、江戸時代には加賀藩の参勤交代路として整備された交通の要衝。
1183年、源義仲が平家軍を破った「倶利伽羅峠の戦い」の舞台として知られ、特に「火牛の計」という奇襲戦法が有名。
周辺には猿ヶ馬場や巴塚など、古戦場にちなんだ地名と史跡が点在し、春には約6,000本の八重桜が峠道を彩る北陸有数の桜の名所でもある。

朝8時25分、牛が駆け抜けた峠に立つ
2025年8月19日、盛夏の朝。道の駅「倶利伽羅 源平の郷」に車を停めた。

石川と富山の県境。倶利伽羅峠。ここで平安時代末期、源義仲が平家軍をぶちのめした。その方法が凄まじい。「火牛の計」。牛の角に松明をくくりつけて、真夜中に敵陣へ突っ込ませる。牛がパニックになって暴走し、平家軍は大混乱。断崖から転落する兵士多数。義仲の圧勝。

今、俺はその峠の麓でWi-Fiの速度を測っている。下り55Mbps、上り17Mbps。まあまあだ。
なんだか変な気分になった。
火牛の角にスマホをくくりつけたら

火牛のモニュメントがある。角に松明をつけた牛の像だ。迫力がある。というか、牛の目が怖い。
「源平倶利伽羅合戦図屏風」のレプリカも展示されている。牛が駆け、武者が叫び、人が崖から落ちる。すごい絵だ。こんな戦い方を思いついた義仲は天才なのか、それとも単に無茶苦茶なだけなのか。
ふと考えた。もし義仲が現代にいたら、火牛の角にスマホをくくりつけて、リアルタイム配信とかするんだろうか。「いま平家の陣地に突っ込みまーす!チャンネル登録よろしく!」とか言いながら。
馬鹿なことを考えながら、道の駅を出た。
峠は昔から”道”だった
この峠、ただの古戦場じゃない。古代の官道・北陸道として都へ通じる道だったし、江戸時代には加賀藩の参勤交代路だった。つまり、ずっと”人が通る道”だったわけだ。
周辺には「猿ヶ馬場」とか「巴塚」とか、古戦場っぽい地名が残ってる。歩いてみたい気もするけど、8月の朝から峠歩きは無謀だ。春なら八重桜が約6,000本も咲くらしい。それは見たい。でも今は夏だ。諦めた。
道の駅の周辺は「歴史国道」として約12.8kmの歩道が整備されている。歴史散策と自然観賞を同時に楽しめるというやつだ。いいコンセプトだと思う。でも今日は先を急ぐ。
“学べる道の駅”という生き方
この道の駅、ただの休憩所じゃない。歴史資料館、直売所、レストラン、入浴・宿泊施設まである。つまり、ここで1日過ごせる。いや、泊まれる。それはすごい。
売店ラウンジで少しだけノマドタイム。Wi-Fiもあるし、仕事もできる。峠で仕事。なんだか不思議だ。

金沢・能登・富山への結節点に位置しているから、旅程にも組み込みやすい。”学べる道の駅”として機能している、と案内板に書いてあった。
学べる道の駅。いい言葉だ。道の駅も進化している。昔は「トイレと自販機」だったのに、今は「歴史も学べて泊まれる」。時代は変わった。
峠を越えて、また旅は続く
峠を越える。石川から富山へ。県境を越えるって、なんだかいつも特別な気がする。地図の線を越える感じ。目には見えないけど、確かに何かが変わる。
義仲も、参勤交代の武士たちも、この峠を越えた。そして俺たちも越える。
歴史は続いている。道も続いている。旅も続いている。
次は富山だ。白えび丼を食いに行く。
道の駅「倶利伽羅 源平の郷」基本情報
項目 | 内容 |
---|---|
名称 | 道の駅 倶利伽羅 源平の郷(くりから げんぺいのさと) |
所在地 | 石川県河北郡津幡町竹橋西239-14(〒929-0426) |
アクセス | IRいしかわ鉄道 倶利伽羅駅・あいの風とやま鉄道 石動駅から車約5分 |
駐車場 | 大型5台、普通車62台(身障者用4台) |
営業時間 | 9:30~18:30(施設により異なる) |
主な施設 | 歴史資料館、直売所、レストラン、 入浴・宿泊施設、観光案内、EV充電、Wi-Fi |
見どころ | 火牛の計モニュメント、源平倶利伽羅合戦図屏風レプリカ、 歴史国道(約12.8km)、八重桜(約6,000本・春) |
公式サイト | https://kurikara.org |
訪問日:2025年8月19日(月)
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